黑料福利社

东京大学教员の着作を着者自らが语る広场

白い表紙にらせん状の模様

书籍名

叢書 言语の政治 28 われわれが见るもの、われわれを见つめるもの

着者名

ジョルジュ?ディディ?ユベルマン (著)、松浦 寿夫、 陶山 大一郎 (訳)

判型など

342ページ、础5判

言语

日本语

発行年月日

2024年10月

ISBN コード

978-4-8010-0719-2

出版社

水声社

出版社鲍搁尝

学内図书馆贷出状况(翱笔础颁)

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本書はフランスの哲学者?美術史家であるジョルジュ?ディディ=ユベルマン (Georges Didi-Huberman) のCe que nous voyons, ce qui nous regarde (Minuit, 1992) の翻訳である。ディディ=ユベルマンはヴァザーリやパノフスキーに代表される伝統的な美術史の枠組みを批判し、アビ?ヴァールブルクや精神分析を援用しながら、イメージのより根源的な可能性を探る一連の仕事によって知られている。その著作は膨大で、扱われる対象も多岐にわたっているが、本書はトニー?スミスを始めとするミニマル?アートを論じたものとして独自の位置を占めている (もちろん、「アナクロニズム」という方法意識やヴァルター?ベンヤミンの「弁証法的イメージ」など、ディディ=ユベルマンの読者にとってはおなじみの観念もたびたび再登場するが)。
 
本書のテーゼはそのタイトルにも明確に現れている。すなわち、われわれが「見る」イメージが翻ってわれわれを「見つめている」ように感じる、そのような経験が、イメージを見るという営みの根底にある、というテーゼである。われわれはイメージに引きつけられ、あるいは脅かされ、いずれにせよ働きかけられているように感じる。そうしたイメージの力――フランス語で「見つめる」を指す動詞は «regarder» だが、これには「関わる」という意味もある――を基軸として、ディディ=ユベルマンはミニマル?アートの作品群を論じてゆく。例えば、トニー?スミスの作品《Die》(1962年) は、各辺が6フィート (183cm) の単なる黒い立方体である。「単なる黒い立方体」であるにもかかわらず、われわれがそれに引きつけられるのはなぜなのか、そしてどのようにしてなのか。
 
ディディ=ユベルマンによるこの議論は、これまでミニマル?アートをめぐって提出されてきた諸概念?諸言説を批判的に取り上げ直している点でも有意義である。例えばミニマル?アートの作家でもあり批評家でもあったドナルド?ジャッドは、ミニマル?アートを「特殊な物体 (スペシフィック?オブジェクト)」と特徴づけ、それが伝統的絵画のイリュージョニズムを排し、単純な直示性 (リテラル性) を志向していると論じた。また画家のフランク?ステラは自身のミニマルな作品について、「あなたが見ているものはあなたが見ているものです」と語っていた。ディディ=ユベルマンが指摘するのはこうした言説がミニマル?アートに同語反復性を見て取っていることである。彼に言わせれば、「見る」にあたって「見つめてくる」作品は同語反復を特徴とするのではなく、むしろ常に両義的で揺れ動き、それによってわれわれの情動に働きかけてくる、いわば弁証法的なイメージを有しているのだ。
 

(紹介文執筆者: 人文社会系研究科?文学部 助教 鈴木 亘 / 2025)

本の目次

见ることの避けがたい分裂

空虚を回避すること――信仰か同トートロジー语反復か

见るべきこの上もなく単纯な物体

见えるもののジレンマ、あるいは明証性の作用

视覚的なものの弁証法、あるいは刳り抜きの游戯

拟人主义と非类似性

二重の距离

批判的イメージ

形态と强度

眼差しの果てしない敷居

原注
书誌覚书
人名索引

訳者あとがき
 

関连情报

书评:
大岩雄典 評 (日本ヴァレリー研究会ブログ 2025年2月2日)

 
本よみうり堂: 郷原佳以 評「視覚分裂 驚かされる主体」 (『読売新聞』 2024年12月20日)

 

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