黑料福利社

东京大学教员の着作を着者自らが语る広场

白い表紙にしわの入ったモチーフ

书籍名

〈现実〉论序説 フィクションとは何か? イメージとは何か?

着者名

鈴木 雅雄 (編)

判型など

506ページ、础5判、上製

言语

日本语

発行年月日

2024年12月

ISBN コード

9784801008366

出版社

水声社

出版社鲍搁尝

学内図书馆贷出状况(翱笔础颁)

英语版ページ指定

英语ページを见る

文学研究に携わる研究者?教育者には、大いなる悩みがある。それは、二十世紀末以降、文学は終わったと、さかんに言われるようになったことだ。自分の好きな研究に没頭しているときには、まったく問題とならないこととはいえ (たとえその分野の研究者が一人になったとしても、研究者は自分の研究をつづけるだろう)、現代を生きる若者たちを前にして、自分の仕事の意義をいったいどのように伝えればいいのか、途方に暮れることがあるのだ。
 
本書『〈现実〉论序説』は、こうした「文学終焉論」が本当に正しいのかを問い直すところから出発した。かつて文学には、自分たちの生きる時代を認識する方法という側面があった。その側面は、歴史学、社会学、人類学、精神分析学、美術史、イメージ論、フィクション論など、二十世紀に飛躍的な発展を遂げた人文科学によって奪われていった。そのため文学に残されたものは、感性に訴えかける娯楽としての位置だけだ──これが、文学終焉論の骨子である (ウィリアム?マルクス『文学との诀别』(水声社、2005年)、柄谷行人『近代文学の終わり』(インスクリプト、2005年) などを参照ほしい)。この論がどこまで正当なものなのか、編者たちは2019年以降、文学研究者と人文科学の研究者との対話を重ねてきた。文学と人文科学との境界では、何が起きているのか。この疑問を考える過程で浮かび上がってきたのは、文学と人文科学の対立ではなく、両者が共通して「現実」とどのように向き合ってきたのかという、より根源的な問題だった。
 
そこで、改めて问うてみた。现実とは何か。このような问いを発してみると、これが适切な疑问ではないことが、编者たちに痛感された。现実とは、外から见てそれとわかる轮郭がそなわっているものではない。ある明确な本质をもっていて、それを见定めれば、定义できる──现実はそのような、ひとつの考察の対象としてそこにあるものではない。むしろ逆に、ひとつの対象として、距离をおいて眺めることなどできないものこそ、现実と呼ばれているものではないだろうか。自分で考えれば何かがわかると思い込んでいるような主体のあり方そのものをひっくり返す力をもったものに出会ったとき、人は何ともいえない现実の力を感じる。もう少し言うなら、普段、意识しないままそのなかで生きている、日常生活の保护膜のようなものが破られ、自分がどういう世界に生きているのかまるでわからなくなる、そんな思いに人を诱うものこそが现実ではないだろうか。
 
収録論文は、現実というものに対して、大きく二つの態度を示している。一方に、何が起こっているのかわからないものの、とにかく注意を凝らして待つという態度がある。何かがあると感じられるのだが、それが何であるのかわからないものに、ひたすら耳を澄ませ、眼差しを凝らす。文化人類学のフィールドワークにおいても、言葉にならない体験を言语化しようとする証言の文学においても、この態度は共通している。そのような待機のどこから現実がその姿をわずかなりとも垣間見せるのかはわからないが、とにかく待っているしかないと念じる態度は、確かにさまざまな現実の姿を招き寄せるようなのだ。
 
他方には、最初から现実ではないとわかっているものと积极的に戯れ、そこから何かがあらわれるのを待つ态度がある。初めから现実ではないとわかっている虚実皮膜の虚や、目の前にある物质的なイメージと、これは现実ではないと知りながらいつまでも戯れる。すると、现実ではないその何ものかが、どこかで现実に反転してゆく瞬间が访れることがある。嘘を通してしか近づくことができない真実というものが存在するのだ。

本书は便宜的に文学、人文科学、イメージ论、マンガ论の四つの章に分かれているが、そこで追求されるのは、现実と呼ばれるもののはらむダイナミズムである。どういう世界を相手にしているのかわからないまま、その未知の领域に接近し、読み解こうとする试みとして、文学にはなお探究としての力があると信じたい。
 

(紹介文執筆者: 人文社会系研究科?文学部 名誉教授 塚本 昌則 / 2025)

本の目次

 序(塚本昌则)

第滨部 フィクション编
 フィクションの知,文学の知(久保昭博)

1 文学にとって〈现実〉とは何か?
 非人称的な特异性のために――ブランショの「文学とは何か」(郷原佳以)
 调査の文学と集合住宅という装置――现代文学の结节点をめぐって(塩塚秀一郎)
 証人の証人たち――「闻き书き」の诗性について(谷口亜沙子)
 可塑的现実――ヴァレリーの『诗学讲义』をめぐって(塚本昌则)

2 人文科学――〈现実〉への问い
 アンブロシオの死――人類学における「文学的なもの」をめぐって(箭内 匡)
 制度の裂目に立ち上がる言叶――メルロ?ポンティの文学论から(广瀬浩司)
 精神分析における「现実」――フロイト、ウィニコット、ラカン(立木康介)
 一人称の政治――ルソー『人间不平等起源论』と『社会契约论』の一断面(王寺贤太)
 経験としてのフィクション――ジャン?マリー?シェフェールのフィクション论と美学(久保昭博)

第滨滨部 イメージ编
 イメージ表现と现実(中田健太郎)

3 イメージと〈现実〉の交差
 隠れる手,浮游する手,现れる手(伊藤亜纱)
 拟态する身体の解剖学――アンドレ?マッソン『私の宇宙のアナトミー』における起源との戯れ(松井裕美)
 ミツバチの社会からミツバチとの社会へ――社会イメージの思想史(桥本一径)
 引用とイメージと彷徨と――『アンナ』,ボシュエ,ゲンズブール(森元庸介)

4 マンガにとって〈现実〉とは何か?
 キャラクターが私を见つめる――マンガにとって〈现実〉とは何か(铃木雅雄)
 マンガは暴力をシリアスに描けるか――マンガにおけるメタ视点をめぐる试论(森田直子)
 マンガにおける文学、あるいはマンガとしての文学――どんどん行ってしまうものをめぐって(中田健太郎)

 跋――真実を「物语る」ことについて(铃木雅雄)
 

関连情报

着者インタビュー:
「文学部のひと」vol.30 塚本昌則(退職教員) (東京大学大学院人文社会系研究科?文学部ホームページ)


书籍绍介:
新刊?おすすめ书籍 (『ふらんす』 2025年2月号)

このページを読んだ人は、こんなページも见ています