黑料福利社

FEATURES

印刷

建筑学と考古学を掛け合わせて8世纪の建物を次代へ「受け継ぐ」|海野 聡

掲载日:2026年6月23日

建筑学と考古学を掛け合わせて8世纪の建物を次代へ「受け継ぐ」

建筑学専攻の海野聡先生は、技术より理念が先にあった古代の建筑に惹かれ、寺院や宫殿の调査や復元の取り组みを続けています。
建筑学と考古学の両面から进めるは、古建筑を「受け継ぐ」试み。
南都と不即不离の関係にある研究を绍介します。

薬师寺东塔の解体に立ち会って

海野 聡
UNNO Satoshi
工学系研究科 准教授

古建筑の调査と修理、遗跡の発掘と復元の研究を进めています。残っている建物も遗跡になった建物も同じ枠で捉えるのが私の特徴。学生の顷、各时代の优品をつないで语る建筑史の既往研究に违和感を覚えました。古代史の佐藤信先生の话を闻くなかで、建筑学と考古学を分けずに考えるようになりました。

现代よりずっと社会的意义が强かった古代の建筑からは、未熟だった技术で理想を志す姿が伝わります。现代は予算ありきですが、古代では建筑の理念がまずあり、そこに努力で近づこうとした跡が见えるのが魅力です。

にいた顷、薬师寺东塔に1年间通いました。塔の未解体部を解体するタイミングで、新たな技术のほか、墨书も多数発见しました。柱上の部材の里にあったのは、练习跡と目される文字。8世纪の人が书いた字を现代の自分が初めて目にする感动を味わいました。

法隆寺金堂では昭和の修理の际に外した部材を调べました。兴福寺五重塔の约120年ぶりの修理には修理専门委员会の一员として参加しています。奈良に限らず、爱知、福岛といった各地の古建筑の调査、身近な场所では本郷の赤门や小石川の旧东京医学校本馆の修理も対象です。

平城宫跡では立太子に合わせて建てられた大极殿院东楼を復元(再建)设计しました。図面はないので関连资料や発掘で出た部材が頼りです。基本设计ができてもその通りには进みません。现代の耐震基準に合わない场合があり、调整が必要なのです。建筑史から発掘调査、构造や法の理解も求められます。

images
薬师寺东塔の断面図。「推し建筑を闻かれたら、平等院凤凰堂とこの塔を挙げます。両者とも、细い部材で大きな建物を支えているように见せる工夫をしています」(海野)
出典:『』(中央公论美术出版、1984年)

つっかい棒を外すか残すか

古建筑を受け継ぐ方法はいろいろ。时代の技术や表象の粋である建物はそのままの姿で残すことに意味がありますが、使い続けることが求められる建物ではそうとは限りません。たとえば、薬师寺では补强のつっかい棒を入れていましたが、明治の改修の际に外され、つっかい棒无しで成り立つような手法が用いられました。一方、法隆寺では江戸时代に入れたつっかい棒が健在です。棒に龙の彫刻が施され、意匠性に富み、不思议と调和しています。そのように、日本では昔から个々の建筑に即した修理が行われてきました。

しかし、石造が主流の欧州では、復元を含む日本の文化财保护のやり方に异论を唱える向きがあります。たとえば、コロッセオは壊れた状态でも価値が伝わりますが、木造寺院は壊れたら土地が残るだけ。多様な文化财に一元的な価値観を求めるのはおかしく、修理も各々の文化に根ざすべきだと思っています。

関东と関西の建筑を比べると、歴史の厚みは后者が圧倒的です。东京では江戸时代の建筑の大半が関东大震灾と空袭で消えましたが、奈良や京都では被害がそこまでひどくありませんでした。関西のなかでも奈良时代の建筑は奈良に多く残るのに、平安时代の建筑は京都にはほとんど现存しません。都であり続けた京都と、宗教都市に変わって戦乱や政治的轧轢から离れた奈良の违いです。古建筑の研究者としては今后も奈良から离れられません。

images
復元された第一次大极殿院东楼。平城京の正门(罗城门)と平城宫の正门(朱雀门)を结んだ朱雀大路の延长线上の区画に位置します。
images
海野先生の着书
『』(岩波书店、2024年)
豊富な実例に基づいて日本建筑のメンテナンスの世界を绍介する一册。

関连リンク

アクセス?キャンパスマップ
闭じる
柏キャンパス
闭じる
本郷キャンパス
闭じる
驹场キャンパス
闭じる